【国盗り合戦クイズの答え】9/6 毛利氏と尼子氏が争った、1540年の「吉田郡山城の戦い」。このときの尼子軍大将・尼子詮久が後に名乗った名前といえば?




位置情報ゲームアプリの『ケータイ国盗り合戦』で、クイズが実施されています。
クイズに正解することで、ゲーム内で10コバンもらえることができます。
2021年9月6日の問題は、毛利氏と尼子氏が争った、1540年の「吉田郡山城の戦い」。このときの尼子軍大将・尼子詮久が後に名乗った名前といえば? です。ではでは、クイズに参加!



毛利氏と尼子氏が争った、1540年の「吉田郡山城の戦い」。このときの尼子軍大将・尼子詮久が後に名乗った名前といえば?
答え:尼子晴久

正解は「尼子晴久」。「謀将」と呼ばれた祖父・経久の後を継ぎ、尼子家当主となった尼子詮久(あきひさ)は、中国地方の主導権を巡り長い間毛利氏と激しく争いました。手痛い敗北を喫した1940年の「吉田郡山城の戦い」の翌年には、詮久は将軍・足利義晴から一字を譲り受け、「晴久」と改名したとされています。

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